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神戸地方裁判所 昭和59年(ワ)315号 判決

原告

三木悟

右法定代理人親権者父

三木好夫

同母

三木時子

原告

三木好夫

原告

三木時子

右三名訴訟代理人弁護士

小松陽一郎

金高好伸

被告

小原勉

被告

小原美智子

右両名訴訟代理人弁護士

奥村孝

右訴訟復代理人弁護士

中原和之

主文

一  被告小原美智子は、

1  原告三木悟に対し、金四〇〇〇万円及びこれに対する昭和五九年三月一五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を、

2  原告三木好夫及び原告三木時子に対し、各金二五〇万円及び右各金員に対する昭和五九年三月一五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を

支払え。

二  原告三木好夫及び原告三木時子の被告小原美智子に対するその余の請求並びに原告らの被告小原勉に対する請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、原告三木悟と被告小原美智子との関係では全部同被告の負担とし、原告三木好夫及び原告三木時子と被告小原美智子との関係ではこれを二分し、その一を原告三木好夫及び原告三木時子の負担とし、その余を被告小原美智子の負担とし、原告らと被告小原勉との関係では全部原告らの負担とする。

四  この判決は、原告ら勝訴部分に限り仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、連帯して、

(一) 原告三木悟に対し、金四〇〇〇万円及びこれに対する昭和五九年三月一五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を、

(二) 原告三木好夫及び原告三木時子に対し、各金五〇〇万円及び右各金員に対する昭和五九年三月一五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を

それぞれ支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁(被告ら共通)

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

原告三木悟(以下「原告悟」という。)は、昭和四九年一〇月一〇日午前七時三五分、神戸市兵庫区荒田町一丁目九二番地所在の小原助産所において原告三木好夫(以下「原告好夫」という。)と原告三木時子(以下「原告時子」という。)の長男として出生した男子である。

被告小原美智子(以下「被告美智子」という。)は、右小原助産所を開設する助産婦であり、被告小原勉(以下「被告勉」という。)は、被告美智子の子であつて住所地において小原産婦人科医院を開設する医師である。

2  助産契約及び診療契約の締結

(一) 原告らと被告美智子との助産契約の締結

自らの妊娠に気付いた原告時子は、以前二人の弟が被告美智子の分娩介助を受けて出生したことや同被告が自分と同じ女性であることなどから、同被告の経営する小原助産所で原告悟を出産することを決意し、昭和四九年四月一四日頃初めて被告美智子の診察を受け、それ以来原告悟の出産に至るまで同被告の診察を受けていたものであるが、同年一〇月九日その出産に先立ち、原告好夫及び同時子は、自らも契約当事者となるとともに、原告悟の出生を条件としてその法定代理人としての資格をも兼ねて、被告美智子との間において、原告時子を小原助産所に入院させてその分娩を介助するなどし、母子ともに健全な出産を全うせしめ、これに対し適切な保健指導を行うことを内容とする助産契約を締結した。

仮に右時点において原告好夫及び同時子が原告悟を代理することができないとしても、原告好夫及び同時子は、同年一〇月一〇日原告悟の出生に際し、同原告の法定代理人として右と同様の助産契約を締結した。

(二) 原告らと被告勉との診療契約の締結

原告時子は、被告美智子の初診を受けた際、同被告から「出産のときには必ず医師が立ち会うから安心してください」との説明を受けたが、母の吉川茂子から被告美智子の子の被告勉が産婦人科医であることを聞いていたことなどから被告勉が分娩の介助をしてくれるものと理解し、原告好夫にもその旨報告した。そして昭和四九年一〇月九日小原助産所に入院するに際し、原告好夫及び同時子は、自らも契約当事者となるとともに、原告悟の出生を条件としてその法定代理人としての資格をも兼ねて、被告勉の代理人である被告美智子との間において、被告勉が原告時子の分娩に立会い母子ともに健全な出産を全うせしめるとともに、新生児に特有な心身の異常等があつた場合にはこれを医学的に解明してその原因ないし病名を的確に診断し、これに対して適切な治療を行うことを内容とする診療契約を締結した。

仮に右時点において原告好夫及び同時子が原告悟を代理することができないとしても、原告好夫及び同時子は、同年一〇月一〇日原告悟の出生に際し、同原告の法定代理人として右と同様の診療契約を締結した。

被告勉は、右診療契約の締結について被告美智子に代理権を授与していた。すなわち、被告勉は、従来から被告美智子の経営する小原助産所に継続的に出向いて産婦の分娩を介助しており、自己の記名印を被告美智子に預けて同被告をして妊婦の母子健康手帳の分娩介助者欄に押印させていた。また被告勉は、分娩介助に必要な吸引分娩用の機器等の医療機器を小原助産所に常置させており、これらの事実に照らせば、被告勉が被告美智子に対し、本件診療契約の締結についての代理権を授与していたことは明らかである。

3  原告悟の出生後の経過及び現在の状態

原告悟は、昭和四九年一〇月一〇日午前七時三五分、被告両名及び看護婦二名の立会いのもとに出生したが、その出生に際して被告勉は、ブジー、点滴静脈注射、吸引分娩、麻酔、会陰切開、同縫合、鏡診等の処置を行つた。出生時、原告悟にはとりたてて異常はなかつたものの、当初から吸せつ反射が弱く、母乳の飲みも少なく、かつ飲んでもすぐ戻すという状態が続いた。原告時子が原告悟の右症状を指摘して被告美智子に相談しても、同被告は心配ないというだけで、とりたてて処置をしてくれず、原告悟は砂糖水を飲ませようとしてもほとんど飲まないという状態であつた。翌一一日くらいから原告悟に黄疸が出始めたので、被告美智子に聞いたところ、同被告は心配ないと言い続けていたが、原告悟の様子は一向に好転する気配がなかつた。その後も特別な処置は採られることなく経過したが、同月一四日のもく浴の際、被告美智子は、原告悟が異常だから直ちに医療法人川崎病院に入院させると言い、原告悟を同病院に転送した。同病院においては直ちに交換輸血が行われたが、その時点では既に原告悟には核黄疸におけるプラーの第二期の特徴である後弓反張が出ていた。そして同病院ではもう一度交換輸血がなされたが、通常よりも相当長く入院することとなり、同年一一月一五日に至つてようやく退院した。

しかしながら、原告悟には血液型不適合による核黄疸の後遺症として脳性麻痺(起立不能)の障害が残るところとなり、昭和五二年四月身体障害者等級表第二級の認定を受けた。

4  原告悟の脳性麻痺の原因

原告悟の脳性麻痺の原因は母子血液型不適合に基づく核黄疸である。

(一) 核黄疸は、間接ビリルビンが脳灰白質に付着して黄染した状態をいうが、これにより脳の神経細胞の代謝を阻害し、その細胞の機能を障害するだけでなく、当該細胞を死滅させることもあるため、死亡率が高く、また存命し得ても治癒不能の脳性麻痺を残す危険性の高い疾患である。

(二) 核黄疸の原因として最も代表的なものは、ABO式又はRh式母子血液型不適合に基づく新生児溶血性疾患であるが、殊にRh式血液型不適合の場合、すなわち夫がRh陽性で妻がRh陰性であるような場合、その夫婦の第二子以降の出産児は、Rh式不適合に基づく新生児溶血性疾患による黄疸の重症化進行速度が速く、核黄疸の臨床症状の発現も早い。

(三) 核黄疸の臨床症状は、プラーによれば次のように分類される。すなわち、第一期としてまず筋緊張の低下、吸せつ反射の微弱化、し眠、モロー反射の消失、ほ乳力の減退等が概ね発病後一両日に見られ、第二期として、けいれん、筋強直、後弓反張、発熱等が概ね発病後一、二週間に見られ、第三期として中枢神経症状の消退、第四期として恒久的な脳中枢神経障害の発現が見られる。なお、第二期前後にはいわゆる落陽現象が見られる。

(四) 核黄疸の治療法としては、発病後早期の段階、すなわちプラーの第一期の段階で交換輸血を行うことが最も根本的かつ確実な治療法であり、第二期の症状が発現した段階では、もはや交換輸血を行つても手遅れとなり、脳性麻痺の後遺症を残す危険性が高い。

(五) 原告好夫はRh陽性であり、原告時子はRh陰性であるが、同原告らは原告悟出生以前に第一子を人工中絶しており、第二子以降の出産児に核黄疸の発現をみる可能性が高かつたところ、前記のような原告悟の出生後の経過に鑑みるならば、原告悟の脳性麻痺の原因がRh式母子血液型不適合に基づく核黄疸であることは明らかである。

5  被告らの債務不履行

原告悟が右のように脳性麻痺による障害を負うに至つたのは、原告悟出生後の被告らの措置が不適切、不完全であつたためであるが、その詳細は次のとおりである。

(一) 被告美智子の責任原因

原告悟が出生した昭和四九年当時、前記のような核黄疸の原因、治療法等は医学的に十分解明されていて、その知識は産婦人科医のみならず一般の助産婦の間にも十分に普及していた。したがつて助産婦が妊婦を診察するにあたつては、まず妊娠早期の段階で妊婦及びその配偶者のABO式、Rh式の血液型の確認を行うことが必要であり、出産後は新生児の動向、殊にほ乳障害、重症黄疸に注意し、異常を認めたときは、医師の診察を請うなど直ちに適切な措置を講ずることが必要であるとされていた。

しかるに被告美智子は、原告時子を診察するにあたつて、原告時子及び同好夫の血液型を確認する義務があるにもかかわらずこれを怠り、また原告悟が出生した後も、同原告のほ乳状況、黄疸発現の時期、程度等その動向を十分注意し、異常を認めた場合には直ちに医師をして交換輸血の措置を採らしめる等血液型不適合による核黄疸に対して適切な処置をすべき義務があるにもかかわらずこれを怠り、漫然と経過観察を続けて適切な交換輸血の時期を失し、その結果原告悟に核黄疸による脳性麻痺を生ぜしめた。

(二) 被告勉の責任原因

原告悟が出生した昭和四九年当時、前記のように核黄疸に対する知識は一般の産婦人科医の間に十分に普及していたのであるから、被告勉は、原告らとの間での診療契約に基づき、原告時子の診察にあたり、原告時子及び同好夫の血液型を確認する義務があるにもかかわらずこれを怠り、また原告悟が出生した後も、同原告の臨床症状を綿密に観察し、核黄疸を窺わせる諸症状が発現した早期の時点で血清ビリルビン値を測定した上で、自らあるいは設備の整つた病院に転送して交換輸血を行う等適切な処置をすべき義務があるにもかかわらずこれを怠り、出産前日に原告時子を診察し、また出産当日に原告時子の分娩を介助したのみで、漫然と原告悟の核黄疸発生を看過した結果、原告悟に核黄疸による脳性麻痺を生ぜしめた。

6  原告らの損害

(一) 原告悟の損害

原告悟の脳性麻痺は将来にわたつても改善される見込みはなく、原告悟は生涯就労することは不可能であるといわざるをえないが、現在九歳である同原告の六七歳までの逸失利益は、昭和五七年度の一八ないし一九歳の男子平均賃金(年額一六五万八七〇〇円)に右期間の新ホフマン係数19.574を乗じた金三二四六万七三九三円である(165万8700円×19.574=3246万7393円)。

また原告悟が被つた精神的苦痛は筆舌に尽くしがたく、これを慰謝するための慰藉料は少なくとも金一二〇〇万円が相当である。

(二) 原告好夫及び同時子の損害

原告好夫及び同時子は、原告悟が回復不能の脳性麻痺に陥つたことにより、筆舌に尽くしがたい甚大な精神的苦痛を被つているが、これを慰謝するための慰藉料は少なくとも各自金五〇〇万円が相当である。

7  よつて、原告悟は、被告らに対し、債務不履行に基づく損害賠償として、連帯して右損害金の内金四〇〇〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和五九年三月一五日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求め、原告好夫及び同時子は、被告らに対し、債務不履行に基づく損害賠償として、連帯して損害金各五〇〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和五九年三月一五日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する被告らの認否

(被告美智子)

1 請求原因1の事実は認める。

2 同2(一)の事実のうち、原告時子との間での助産契約の締結については、母子ともに健全な出産を全うせしめ、これに対し適切な保健指導を行うことを内容とするという点を除き認める。その余の原告悟及び同好夫との間での助産契約締結の事実は否認する。

3 同3、4の事実は否認する。

4 同5(一)の事実は否認する。

被告美智子の行為に過失はなく、また仮にこれがあつたとしても原告悟の脳性麻痺との間には因果関係がない。

すなわち、被告美智子は助産婦であるが、助産婦には医事法制上採血することが認められていないことから、妊婦の血液型の確認は保健所等の機関による検査結果によらざるをえないところ、本件において原告時子は被告美智子の指示に基づき保健所でABO式の血液型検査を受けているのであつて、このような者に対し、助産婦がさらにRh式を含めた血液型の確認をすべき義務はないといわざるをえない。さらに本件事故発生当時、一般の助産婦の間には核黄疸に対する知識が十分に普及していたとはいえないのであつて、このような助産婦の医療水準に照らして考えるならば、新生児の核黄疸の発生を速やかに発見し適切な処置を採ることを助産婦に要求するのは不能を強いるものである。

そして、本件においては被告美智子が原告悟を川崎病院に転送した時点において脳性麻痺の発生を回避できる可能性があつたともいえるのであつて、被告美智子の転送措置が時期を失したともいえないのであるから、被告美智子の行為と原告悟の脳性麻痺との間には因果関係がないというべきである。

5 同6の事実は否認する。

(被告勉)

1 請求原因1の事実は認める。

2 同2(二)の事実はいずれも否認する。

被告勉は、被告美智子の分娩介助を補助したにすぎず、原告らとの間に診療契約を締結したことはない。

仮に被告勉と原告らとの間に診療契約の締結があつたとしても、それは原告時子の分娩介助に関する行為に限られ、原告悟の核黄疸疾患についてそれを発見し適切な処置を講ずることまでは、その契約の内容に含まれないというべきである。

3 同3、4、5(二)、6の事実はいずれも否認する。

三  抗弁(被告美智子)

本件において原告時子は、母子健康手帳の交付を受けるに際しRh式の血液検査を受診しておらない上、医師のいない小原助産所を自ら分娩の場として選択しているのであるが、これは本件事故の発生にとつて原告時子の側の過失というべきものであるから、過失相殺がなされるべきである。

四  抗弁に対する認否(原告ら共通)

抗弁の主張は争う。

第三  証拠〈省略〉

理由

一当事者

請求原因1の事実は全当事者間に争いがない。

二助産契約及び診療契約の締結

1  請求原因2の事実について判断するに、昭和四九年一〇月九日に原告時子と被告美智子との間で助産契約を締結したことは右当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、次の事実が認められる。

(一)  原告悟を妊娠した原告時子は、小原助産所で原告時子の弟二人を出産した継母の吉川茂子から、同助産所は家族的雰囲気で出産にはとても環境がいいと勧められたため、同助産所で原告悟を出産することとし、昭和四九年四月一四日頃初めて被告美智子の診察を受けた。初診時吉川とともに小原助産所を訪れた原告時子は、被告美智子から「出産の時には医師が立ち会うから心配しなくてもよい」との説明を受けたが、事前に吉川から被告美智子の息子の被告勉が産婦人科医であることを聞いて知つていた原告時子は、被告美智子のいう医師とは被告勉を指しており、出産には被告勉が立ち会つてくれるものと理解した。

(二)  原告時子は、その後継続的に被告美智子の診察を受け、昭和四九年一〇月九日原告悟出産のため小原助産所に入院したが、入院当日吉川や原告時子とともに同助産所を訪れた原告好夫が被告美智子に対し「妻をよろしく頼みます」と挨拶すると、被告美智子はこの時にも「先生も立ち会うから安心してください」と被告勉が分娩に立ち会う旨返答した。同日看護婦に呼ばれて原告時子が診察室に行くと診察室には被告両名がおり、同人らは原告時子を診察して、陣痛を起こすためにゴムのような風船を入れるとの説明をしてブジーの処置をした。翌一〇月一〇日早朝陣痛が起こり出産間近となつた原告時子は、被告美智子の指示で分娩室に移されたが、やがて被告勉も分娩室に現れて、胎児の頭が出にくいので麻酔をかけた上で少し切開し胎児を引き出すと原告時子に説明し、麻酔、会陰部切開、吸引分娩等の処置を行い原告悟を取り上げた後、再び会陰部を縫合して原告時子の分娩介助を終了した。

(三)  被告勉が原告時子に行つた処置は以上のとおりであり、以後被告勉は原告時子の診療に携わつていないが、被告勉が小原助産所において産婦の分娩を介助するのは原告時子に対するのが初めてというわけではなく、従来から被告勉は同助産所に継続的に出向いて産婦の分娩を介助しており、医師として分娩介助に必要ないろいろな医療機器も同助産所に常置して使用していた。また被告勉は、自己の記名印を被告美智子に預けて母子健康手帳の分娩介助欄に押捺させていた。

以上の事実が認められる。被告勉本人尋問の結果中、右認定に反する部分は証人吉川茂子の証言及び原告時子本人尋問の結果と対比して信用できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

2  右認定の事実によれば、原告時子と被告美智子との間の助産契約の締結のみならず、昭和四九年一〇月九日原告時子の入院に際し、原告好夫と被告美智子との間においても助産契約を締結したこと、また同月一〇日原告悟の出生に際しては、その法定代理人である原告好夫と原告時子が原告悟を代理して被告美智子との間において助産契約を締結したことが認められる。

そして右当事者の合理的な意思解釈によれば、右助産契約は、妊産婦である原告時子に対する分娩介助や保健指導をその内容とするだけでなく、妊産婦である原告時子やこれから出生する新生児に心身の異常があつた場合には直ちに医師の診療を受けしむることをもその内容に含むと解するのが相当である。

3  ところで原告らは、被告勉との間においても、原告時子の出産に立ち会い母子ともに健全な出産を全うせしめるとともに、新生児に特有な心身の異常等があつた場合にはこれを医学的に解明してその原因ないし病名を的確に診断し、その症状に応じた適切な治療を行うことを内容とする診療契約を締結したと主張するので、以下この点について検討する。

前認定の事実(1(一)(二))によれば、昭和四九年一〇月九日原告時子が小原助産所に入院するに際し、同原告や原告好夫が「よろしく頼みます」と申し入れたのに対し、被告美智子が「出産の時には先生も立ち会いますから安心してください」と答え、被告勉が原告時子の出産に立ち会い、被告美智子の行う分娩行為を介助することを予定していたものであるから、原告時子及び同好夫と被告勉の代理人である被告美智子との間で、被告勉が原告時子の分娩を介助する旨の診療契約が締結されたことが認められる。

もつとも、妊産婦が病院ないし医院に産婦人科医を訪れて出産に関しその診療を受ける場合には、その診療契約の内容として、産婦人科医は、産婦の出産に立ち会い母子ともに心身に異常なく健全な出産を全うせしめるというだけでなく、出産後も母子の健康状態を管理し、新生児に病的異常症状を発見した場合にはこれを医学的に解明し、その症状に応じた適切な治療行為を行うことをもこれに含んでいると解するのが当事者の合理的な意思にかなうところである。しかしながら、先に認定した事実によれば、本件において原告時子及び同好夫は、助産婦である被告美智子の開設する小原助産所を訪れ、主として被告美智子の分娩介助及び保健指導に期待して同助産所に入院しているのであつて、たとえ原告時子や同好夫の「よろしく頼みます」との申入れに対し、被告美智子が「出産の時には医師が立ち会うから安心してください」と答えたとしても、立ち会う医師から出産時の分娩介助の域を超えて、右のように妊産婦が産婦人科医を訪れて直接同医師との間で診療契約を締結した場合と同様な内容の医療行為を受けられるとの期待ないし意思を同原告らが有していたとは認めがたい。右のような原告時子及び同好夫と被告美智子との応答からするならば、両者の意思の合致によつて締結された診療契約の内容としては、正にその文言どおり、出産の時には被告美智子だけでなく被告勉も立ち会つて医師として原告時子の分娩を介助し、これに必要な限りで、被告勉が原告時子及び新生児に対し適切な医療行為を行うことをその内容とすると解するのが相当である。

そうして前認定の事実(1(三))によれば、妊産婦の分娩介助を内容とする診療契約に関し、被告勉が被告美智子に代理権を授与していたことが認められるから、昭和四九年一〇月九日原告時子が小原助産所に入院するに際し、原告時子及び同好夫と被告勉との間には原告時子の分娩を被告勉が介助することを内容とする診療契約が成立したものと認められる。

なお、原告時子及び同好夫と被告勉との間に成立した診療契約が右のような内容のものだとするならば、昭和四九年一〇月一〇日原告悟出生に際し、原告悟の法定代理人である原告時子及び同好夫と被告勉との間にも、右と同様の診療契約、すなわち被告勉が原告時子の分娩を介助する際に必要な限りで、新生児である原告悟に対しても適切な医療行為を行うことを内容とする診療契約が成立したと認めるのが相当である。

三原告悟の出生後の経過及び現在の状態

請求原因3の事実について判断するに、〈証拠〉を総合すれば、次の事実が認められる。

(一)  原告悟は、昭和四九年一〇月一〇日午前七時三五分小原助産所において被告両名及び同助産所の職員二名の立会いのもとに出生したが、出生時吸引分娩術を施行されたため、頭部が多少細長くなつていた程度で、その他外見的にはとりたてて異常というものはなかつた。ただ当初から吸せつ反射が弱く、乳を飲ませてもすぐ戻すという状態が続いた。

(二)  翌一一日になつても乳を飲まないため、心配になつた原告時子がそのことを被告美智子に告げたところ、被告美智子は「一、二日飲まなくても心配はない、あまり心配なら砂糖水でも飲ませなさい」と言つていた。そこで原告時子は原告悟に砂糖水を飲ませてみたが、飲んでもすぐ戻してしまう仕末であつた。

(三)  同月一二日になつても原告悟の乳の飲み方は悪く、その上この頃から黄疸が出始めた。被告美智子は、原告悟出生後毎日昼過ぎに原告時子の病室に顔を出して原告悟の状態を見ていたがこの日原告悟に黄疸が出たのを見ても「大丈夫、誰でもこうなるから心配いらん、まかしとき」と言つただけで何らの措置を採らなかつた。また吉川が原告悟を抱いた際、同原告の体が突つ張るような硬い感じがして異様に思つたのでその旨被告美智子に話したが、それでも同被告は大丈夫だと繰り返すばかりで何らの措置を採らなかつた。

(四)  同月一三日も原告悟が乳や砂糖水を飲まない状態に変わりはなく、原告時子の同室の産婦が自分の乳を飲ませようとしたが、これも飲まなかつた。原告悟を抱いた時に感じる同原告の体が突つ張るような感じはさらに強くなり、原告時子が抱いた時には後に反つているようにも感じられた(いわゆる後弓反張)。

(五)  同月一四日原告悟の状態は前日と同様何か体が反り返つたような状態に加え、心なしか目がとろんとして元気のない様子であつたが(いわゆる落陽現象)、昼過ぎ頃被告美智子は原告悟の様子を見て黄疸がきつくなつてきたので病院に移す必要があると言い出し、小原助産所の職員に原告悟を医療法人川崎病院に連れていくように指示した。そしてその指示を受けた職員がその場に居合わせた吉川とともに原告悟を川崎病院へ転送した。

(六)  川崎病院に転送された原告悟に対しては、同病院の医師により直ちに交換輸血の必要がある旨診断され、同日原告好夫の承諾を得た後、直ちに交換輸血術が施行されたが、右交換輸血後も原告悟の体はなお後ろに反り返つたような状態で経過したため、四、五日後再び交換輸血が行われた。原告悟の体が後ろに反り返るという状態はその後もしばらく続き、通常ならば一〇日前後で退院できるところを一か月も入院するところとなり、昭和四九年一一月一五日に至つてようやく退院した。

(七)  しかしながら原告悟には脳性麻痺による起立不能の障害が後遺症として残るところとなつた。すなわち、一歳六月になつても原告悟は座ることや寝返りができなかつたため、昭和五一年四月頃心配になつた原告時子らが医師の診察を受けさせたところ、原告悟には脳性麻痺が残つている旨診断され、昭和五二年四月には身体障害者等級表第二級の認定を受けるに至つた。しかし、その後原告好夫及び同時子がのじぎく園、あじさい学園ほかで原告悟に機能回復訓練を受けさせたところ、現在ふらふらしながらも何とか歩けるようになり、苦しいながらも普通校の障害を持たない児童と同じクラスに通つて学習に励んでいる。以上の事実を認めることができ、これを覆すに足りる証拠はない。

四原告悟の脳性麻痺の原因

請求原因4の事実について検討するに、〈証拠〉によれば、同4の(一)ないし(四)の事実及び妊娠回数の増加に伴つて核黄疸の発生頻度が高まることを認めることができ、また原告時子本人の尋問の結果によれば、原告好夫がRh陽性であり、原告時子がRh陰性であること、原告時子にとつて原告悟の出産は初産であるが、原告時子は昭和四六年四月二八日に原告好夫と結婚して一年位の後にできた第一子を人工中絶しており、今回は第二回目の妊娠であつたことを認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

そして右に認定の事実と前項(三項)で認定した原告悟の出生後の経過とを考え併せるならば、原告悟の脳性麻痺の原因がRh式母子血液型不適合に基づく核黄疸であると認めるのが相当である。

五被告らの債務不履行

請求原因5の主張について検討する。

1 まず被告美智子の責任原因について検討するに、〈証拠〉によれば、原告悟が出生した昭和四九年当時、既に前項(四項)で認定したような核黄疸の原因、臨床、治療法等は医学的に十分解明されていて、その知識は一般の助産婦の間にも十分に普及していたこと、助産婦が妊婦を診察するにあたつては、まず妊娠早期の段階で妊婦及びその配偶者のABO式のみならずRh式の血液型を確認し、血液型不適合が予測される場合には妊婦の既往歴等をも確認して重症黄疸の発生を予測し、さらに新生児出生後は新生児の適応障害、殊にほ乳障害や早期重症黄疸に注意して、異常を認めた場合には時機を失せず直ちに医師をして適切な措置を採らしめることができるような態勢を整えておくことが必要であるとされていたことが認められる。被告美智子は、昭和四九年当時一般の助産婦の間に核黄疸の知識は十分に普及していなかつたと主張するが、右認定を覆すに足りる証拠はなく、被告美智子の右主張は採ることができない。

したがつて、被告美智子としては、原告時子の初診後早期の段階で、同原告や夫の原告好夫の血液型を調査し、原告時子のそれがA型、Rh陰性であり、原告好夫はAB型、Rh陽性であることを確認した上、血液型不適合児が出生し重症黄疸を発生させる蓋然性を予測してこれに対応できる態勢を整えておくべきであつたし、しかも三項で認定したとおり、被告美智子は、原告悟が出生した直後から乳の飲みが悪くプラーの第一期症状を呈していたのを見ていたのであり、かつ出生の翌々日である同年一〇月一二日には原告悟に黄疸が発現しているのを認めていたのであるから、この時期における原告悟の一般状態を注意深く観察し、核黄疸の発症を疑つて時機を失せず、必要に応じて検査や手術を行いうる病院等の医療機関に同原告を転送して交換輸血の措置を採らしめ、核黄疸をその初期の段階で発見し、かつその進行を阻止すべき契約上の注意義務があつたというべきである。

しかるに、原告時子本人の尋問の結果によれば、被告美智子は、原告時子を診察するにあたり、原告時子及び同好夫のRh式血液型を調査確認せず、新生児につき母子血液型不適合による重症黄疸発現の蓋然性を予測していなかつたことが認められ、また三項で認定したとおり、原告悟出生後も被告美智子は原告悟に出現した黄疸をいわゆる生理的黄疸と判断して軽視し、出生後四日を経過して原告悟にいわゆる後弓反張症状や落陽現象等プラーの第二期の諸症状がみられるに至るまで同原告を放置して、その一般状態を注意深く観察することを怠つたため、核黄疸の発生を早期に発見しえず、適切な時期に原告悟を病院に転送して交換輸血の措置を受けしめる機会を失したのであるから、原告悟の診療につき助産婦として十分な注意義務を尽くさなかつたといわなければならない。

被告美智子は、助産婦には医事法制上採血することが認められておらず、妊婦の血液型確認は保健所等の機関による検査結果によらざるを得ないところ、本件において原告時子は被告美智子の指示に基づき保健所でABO式の血液型検査を受けているのであるから、このような原告時子に対し、助産婦がさらにRh式血液型の確認を行う義務はないと主張する。

なるほど前掲甲第一三号証及び原告時子本人尋問の結果によれば、昭和四九年当時保健所におけるRh式血液型検査は希望者のみを対象とするものであつたため、原告時子はABO式の検査のみを受け、Rh式の検査を受けずじまいに終わつたことが認められるが、先に認定したとおり、Rh式を含む血液型の確認は、昭和四九年当時既に妊婦の診察にあたる助産婦にとつては最も基本的かつ重要な確認事項の一つとして定着していたといわなければならないから、保健所の検査が任意だつたにしても、原告時子をしてRh式についても受検するように具体的に指示しなかつた被告美智子においてその責を免れることはできないというべく、被告美智子の右主張を採ることはできない。

そうすると被告美智子には原告悟の診療につき過失があつたといわなければならないが、核黄疸に対する治療法として、プラーの第二期に至つてから交換輸血を行つたのではもはや手遅れとなり脳性麻痺の後遺症を残す危険性が高いのに対し、第一期の段階で交換輸血を行えば通常脳性麻痺の後遺症の発生を阻止できることは前項(四項)において、また被告美智子が原告悟を川崎病院に転送した昭和四九年一〇月一四日の段階で同原告に第二期の諸症状が発現していたことは三項において、それぞれ認定したとおりであるから、被告美智子において原告時子及び同好夫のRh式血液型を確認した上で出生後の原告悟の一般状態を注意深く観察していれば、同原告に出現した核黄疸が第一期の段階にあることを看過することなく、交換輸血の必要性に思い及んだというべきであるから、ここで被告美智子は原告悟の核黄疸後遺症発生の蓋然性を予測し、適切な時期に原告悟を転送して交換輸血を受けさせる必要性を認識しえたものと推認すべく、したがつて原告悟の脳性麻痺は被告美智子の右過失により生じたものであるといわざるをえない。被告美智子は、転送後においても脳性麻痺の発生を回避できる見込みがあつたからこそ川崎病院で交換輸血が行われたのであつて、被告美智子の行為と原告悟の脳性麻痺との間に因果関係はないとも主張するが、転送時既に原告悟が第二期の症状を呈しており脳性麻痺の後遺症を残す危険性の高い状態にあつたことは前記のとおりであつて、被告美智子の主張はこの点においても採用することができない。

そうとすれば、被告美智子には原告らの被つた損害を賠償すべき責任があるといわなければならない。

2  次に、被告勉の責任原因について検討する。

原告らは、被告勉には、原告らとの間での診療契約に基づき、原告時子及び同好夫の血液型を確認した上で、母子血液型不適合児出生の蓋然性及び同児の重症黄疸発生の蓋然性を予測し、また原告悟出生後もその一般状態を慎重に観察して、異常を認めた場合には核黄疸の発症を疑い時機を失せず適切な治療を行うべき義務があつたと主張するのであるが、二項で認定したとおり、原告らと被告勉との間における診療契約の内容は、原告時子の分娩を介助し、これに必要な範囲で同原告や新生児に対し医療行為を行うことに限られていたというべきであつて、分娩介助終了後に発生した新生児の心身の異常についてこれを医学的に解明し、その原因ないし病名を的確に診断して症状に応じた適切な治療行為を行うことは右契約の内容に含まれていなかつたといわざるをえない。

したがつて、被告勉には原告時子の分娩介助を行うに必要な範囲で原告時子や原告悟に対し医療行為を行う診療契約上の義務があつたというべきであるが、その契約内容に照らし、分娩介助に先立ち必ずしも妊婦及びその配偶者の血液型を確認する義務があるということはできないし、ましてや新生児が出生して分娩介助が終了した後までその新生児の一般状態を注意深く観察すべき義務があるといえないことも明らかである。

そうすると、被告勉には原告らが主張するような診療契約上の注意義務は存しなかつたことになるから、被告勉の債務不履行をいう原告らの主張は失当であり、その余の点の判断に及ぶまでもなく、原告らの被告勉に対する請求には理由がないというのほかはない。

六原告らの損害

被告美智子に対する請求の関係で請求原因6の主張について検討する。

1 まず原告悟の損害について検討するのに、三項で認定した原告悟の現在の状態からすると、昭和五二年四月に身体障害者等級表第二級の認定を受けた後、脳性麻痺に起因する原告悟の機能障害はやや改善したとはいえなお十分でなく、同被告はその生涯を通じて労働能力を一〇〇パーセント喪失したものと推認するのが相当であるところ、原本の存在並びに成立につき争いのない甲第一八号証によれば、昭和五七年度における一八歳―一九歳の男子労働者の平均給与年額は金一六五万八七〇〇円であるから、右金額を基準として、原告悟の一八歳から六七歳まで四九年間の稼働可能期間の逸失利益について、身体障害者等級表第二級の認定を受けた後の時点である昭和五八年当時におけるその現価を新ホフマン方式により年五分の中間利息を控除して算定すると、金三二四六万七三九三円となる(165万8700円×19.574=3246万7393円、円未満切捨て)。

そして前記原告悟の脳性麻痺の現状その他本件における諸般の事情を考慮すると、原告悟に対する慰謝料としては金一〇〇〇万円が相当である。

2  次に原告好夫及び同時子の損害について検討するのに、原告悟が回復不能の脳性麻痺となつたことにより、原告好夫及び同時子は、原告悟の生命が侵害されたのと比肩しうるほどの甚大な精神的苦痛を被つたものと認められるところ、本件における諸般の事情を総合考慮すると、原告好夫及び同時子に対する慰謝料としては各二五〇万円をもつて相当と認める。

七過失相殺の抗弁

ところで、被告美智子は、原告時子が保健所で検査を受けた際にRh式について血液型検査を受けていないことや医師が常駐しておらず医師の常駐する病院等に比較して事故発生の危険が高い助産所を分娩の場として選択したことは、前記原告らの損害の発生について原告ら自身の責に帰すべき事情に当たるとして過失相殺の抗弁を主張するので、以下この点について検討する。

なるほど、五項で認定したように、原告時子は保健所で血液検査を受けた際、Rh式については希望者のみ行うということであつたため、その検査を受けずじまいに終わつたが、産婦人科医や助産婦といつたいわば職業的専門家はともかく、昭和四九年当時一般の妊産婦の間にまで広くRh式を含む血液型検査の必要性があるとの知識が普及していたと認めるに足りる証拠がない以上、原告時子がRh式血液型検査の重要性に関する知識を有せず、これを受検しなかつたとしても必ずしも原告らの側の責に帰すべき事情とは断じがたい。

また原告時子が医師のいない助産所を自らの分娩の場として選択したことは、医師の常駐している病院等を選択した場合に比較して事故発生の危険性が高くなるであろうことを容認していたことになるからとして、ある程度の危険はこれを甘受すべきであるというようなことは、助産婦がその生命身体の安全を守るべき対象である妊産婦や新生児に対して主張できる筋合いのものではないのであつて、これまた原告らの側の責に帰すべき事情とは認めがたい。

そうすると、被告美智子の主張する過失相殺の抗弁はいずれも失当であつてこれを採ることはできない。

八結論

以上の次第であつて、原告らの本訴請求は、債務不履行に基づく損害賠償として、被告美智子に対し、原告悟がその損害金の範囲内である金四〇〇〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和五九年三月一五日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を、原告好夫及び時子が各金二五〇万円及び右各金員に対する同じく昭和五九年三月一五日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払をそれぞれ求める限度で理由があるからその範囲でこれを認容することとし、原告好夫及び同時子の被告美智子に対するその余の請求並びに原告らの被告勉に対する請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官坂詰幸次郎 裁判官萩尾保繁 裁判官石原稚也)

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